八重の桜:新島襄(2)
今日から11月。年賀状の売り出しも始まり、急にせわしなくなります。喪中葉書も届く時期で、さみしい時期でもあります。
10月19日の「毎日更新ブログ」で新島襄のことを少し書きましたが、今日はその2回目です。
9月16日のブログで「学士会館」について書きましたが、何と新島襄の生誕の地は学士会館敷地内で、生誕100年を記念して学士会館の南側に1941年9月27日に記念碑が建立されました。 毎年、生誕日には「碑前祭」が開催されているそうです。
学士会会員に配布される「學士會会報」の第902号(2013年9月発行)の14ページから25ページに、本井康博先生(同志社大学神学部元教授)の「八重の桜・襄の梅」という講演会での原稿が掲載されています。情報が凝縮されていて、大河ドラマを観る上でも非常に参考になる有難い内容です。
新島襄の生誕地記念の碑に書いてある文言は以下の通りです。
【新島襄先生 生誕地記念の碑】
京都同志社の創立者 新島襄先生は天保14年(1843)上州安中藩主・板倉伊豫守の江戸藩邸に誕生せられた。
先生は幕末における国家多難の際、わが国の前途をうれいキリスト教の信仰と海外事情研究を志して21才(1864年)函館より密かに脱国、米国に渡航し新英州キリスト教文化の根本を体得せられた。
母国日本の隆盛をはかるためには、単に法律、政治、経済の改革のみによって達せられるものではなく、人民の一人一人が『知識あり品位あり自ら立ち、自ら治 め』うるものであり『良心の全身に充満したる丈夫(ますらを)』となることによってその目的を達しうるものであることを痛感せられた。
留学10年、明治7年(1874)帰朝、翌75年11月29日、京都に同志社を建てキリスト教をもって徳育の基本とした教育のためにその生涯を捧げられた。
この碑は新島襄先生生誕100年を記念して建てられたが、神田錦町出身の偉大な先覚者をしのび、この解説を掲示するものである。
昭和40年11月
同志社創立90周年を記念して
錦町三丁目町会 錦華小学校 小川小学校